top of page
blur-3839662_1280_edited.png

Link

 無料公開ガイドレクチャー(日本語版)

 

Pathwork Guide Lecture No.25  1996年版   1958年3月14日

 

 道(パス):初期段階、準備、決断

THE PATH: INITIAL STEPS, PREPARATION, AND DECISIONS 

 

 

 神とキリストの名において、ご挨拶申し上げます。皆さん全員に祝福を送ります。これまでの私のレクチャー全てを通して、皆さんはひとつのことを明確に理解したでしょう。すなわち、この地球上でその真の目的として存在する自己啓発の必要性です。時として人生がいかに困難であっても、この目的を達成する人だけが魂の平和を見つけることができるのです。その目的にどのように取り組むのか、どこから始めるのか、ワークをする上で何が関わって来るのかを学び、それぞれの道を見つることができるよう、この啓発に関わるレクチャーを始めるお約束をしました。更にこのレクチャーを始める前に、個々のレクチャーでお話しするつもりの言葉の多くは、瞑想でも扱えることをお伝えしておきます。これらの言葉を一度読んだだけで終わりにするのではなく、心に記憶しておかねばなりません。一度では十分ではないからです。このような認識は表層の理性的なものから、最終的には本質のより深い領域に達するまで成長する可能性があるので、これらの教えを瞑想することが必要です。深層部に到達して初めて、これらの言葉は本当に役に立つものとなるでしょう。

 良識ある人間であること、いわゆる罪を犯さないこと、愛を与えること、信念をもつこと、他者に親切であることは重要だと、全ての人が知っています。しかし、それだけでは十分ではありません。そもそも、これら全てを知っていることと、実際にそれに基づいて行動することとは全く異なります。盗みや殺しのような犯罪を行わないよう自発的に行動することは可能かもしれませんが、誰かを傷つけたいと絶対に感じないことを自分に強要することはおそらく無理でしょう。他者に対して親切に振る舞うかもしれませんが、親切でありたいと感じられるよう自分に強要することはできません。心に愛を持つことも神を心から信じることも自分には強要できません。直接的な行動あるいは思考でさえも、感情に関係するいかなるものをも左右することはありません。感情を変えるには自己啓発と自己認識のゆっくりとしたプロセスが必要なのです。

 自分には十分な信念がないと気付くかもしれません。しかし、それに気付き、「信念を持たねば」と自分に言い聞かせてそれを強要しようとしても、一歩も近づくことはできないでしょう。全く逆です。表面上、自分に言い聞かせることはできるかもしれませんが、信念や愛する能力を持てる訳ではありません。犯罪を犯さないことができれば、霊的な成長が低い人にとっては既に大きな成果です。しかしそれだけでは、ここにいる皆さんにとっては十分ではないでしょう。皆さんにはもっと多くのことが期待されているのです。

 この道(パス)は、主として皆さんの深層部の感情を変えるためにあります。どのようにそれに取り組むのかが最初の課題です。その方法をお教えしましょう。まずは実際に内側にあるものを理解しない限り、何も変えることはできません。この道において最大の難点は、自分が本当は何者なのかを誤魔化そうとすることです。皆さんが既にご存知の潜在意識だけではありません。潜在意識ほどの遠い話しではありません。意識と潜在意識の間で、ずっと意識寄りの所にもうひとつの層があります。ところが、その存在に気付きたくないと思っているので、この層は未だに認識されないままです。症状や兆候がすぐ目の前にあったとしても、それから逃げています。知らなければ存在しないと誤解しているので、そのような気付きから逃げるのです。この言葉通りには考えていないかもしれませんが、全く知らない内に、そのような感情が内部に起ります。どうであれ、この隠れた感情は存在します。たとえ自己の内なる現実、一時的なこの現世での現実から目を背けていても、この層は皆さんの人生と現在の成長状況の現実の一部であることに変わりはありません。

 少し前のハイヤーセルフ、ローアセルフ、マスクセルフについてのレクチャーを覚えているでしょう。私はマスクセルフの一部分について説明しましたが、それはマスクだけの話ではありません。内側の人格と常に対応しているとは限らない、外的な自己と呼ぶこともできます。皆さんは、ある特定のことを行なったり、考えたり、感じたりすることは悪いことだと知っています。そのような感情がローアセルフの中にまだ存在しているのに、悪いと認識されるものは既に取り除かれたと考えることで、当の感情から目を背けているのです。忌避あるいは拒絶は人間が冒し得る最大の過ちです。何故なら、忌避あるいは拒絶は、意識内で認識されているものとは比べものにならないほど多くのトラブルや問題、内外の衝突の原因となるからです。

 人間によって絶えず破られている様々な霊的法則については頻繁にお話ししてきました。今説明したプロセスは、霊的法則のひとつに反しています。それは、人生と向き合う法則です。人生の現実と向き合うことは、あらゆる不完全さを持つ自己を受け入れることを意味します。人生にまず向き合わなければ、決して成長はできません。このハードルを飛び越える方法を教えようとするシステムに従っても、真の成功はあり得ません。何故なら、そのような近道を求めることは霊的法則に反しているからです。

何人かの方々は、既にある程度の自己認識に至っていますが、皆さんはいつも、知らず知らずの内にこの悪影響を及ぼすプロセスを辿ります。皆さんの中で、内なる傾向について少なくとも一度も気づかなかった人はいない筈です。とはいえ、他の多くの領域で、皆さんの意識は内なる真実に直面することから未だ逃げています。自らの欠点には気づいているかもしれませんが、きっとその真の動機の全てには気付いていないでしょう。自分が特定の意見、好み、気質を持つ理由を分かってはいません。優れた本質であっても、無意識の欠点や不適切な内なる流れによって、部分的に影響を受けているかもしれません。今まで自分に都合の良いように誤解してきた傾向や特質を、それらの持つ影響や繋がりとの関りにおいて理解する必要があります。

 完全にハイヤーセルフから、あるいは完全にローアセルフから来ているものは、人間の魂の中には存在しません。何故なら、全ては常に混ざり合っているからです。浄化とは、分けて、認識し、その様々な傾向の全てを意識的な認識の中で再整理することを意味します。その結果、自己欺瞞のあらゆるマスク、そして人格の弱点が引き起こす影響は、基本的な良い傾向へと浄化されていきます。ハイヤーセルフは言います。「わたしは完璧になりたい。それが神の意志であると知っている。」しかし、不完全さに背を向け、無視することで完璧を達成できると思わせるのはローアセルフの無知です。常に全てのものに快適さを望むのもローアセルフです。ローアセルフは高い地位にいることを望みますが、その理由はハイヤーセルフとは異なります。ハイヤーセルフは完璧でなければ真に人間同士愛し合えないとわかっているので、認識や啓発を通して神の愛に向かって前進できるよう努力します。しかし、ローアセルフは、より多くの自己満足を得る為、奢り高ぶる為、称賛を受ける為に完璧になろうとします。全員が例外なく、このように感じています。ハイヤーセルフとローアセルフの両方が、同じ望みを持っていても動機が全く異なる一例です。人格の浄化と健全で調和の取れた魂の為に、動機を分けて、その考えを理解することは極めて重要です。皆さんを責めているのではありません。内なる傾向に気付き始めても、自分を責めたりしないでください。私は事実を述べているのです。道を歩む上での基本的な要件のひとつは、まだ多くの否定的な傾向が内在しているという事実を受け入れることです。この前提がなければ、歩み続けることも、動機に存在する不純物を変えることも不可能です。

 ローアセルフが自らに向かい合うことから目を背ける理由を理解することも必要です。ひとつの理由は、自らを不完全な者として認識することが不快だからです。別の理由は、ローアセルフが怠惰で決して努力をしたがらないからです。しかし、特に不快なものと向き合う場合には、内にあるものを受け止める努力が必要です。そこで、自己啓発と浄化の道を歩む決断をする第一段階は、これに関して明確になるべきです。それは人間がこれまでに成し得た最大の決断です。人類がこれまでに従事できたあらゆる戦いの中で最も気高いものです。状況をよく判断して決断しなくてはなりません。その為、望むべきもの、そして探求すべきものを理解しましょう。直ちに完璧を探し始めないでください。多くの時間と労力を費やすことなく直ぐに完璧に達することは無理だし、非現実的です。この探求は道の真理の始め、そして最も重要な半分を占めています。この部分がうまくいけば、戦いの半分、いやそれ以上は既に勝ち取られていることになるのです!このことを理解すれば、求められるワークの前半、コツコツと励んでいる時に失望せずに済むでしょう。不完全さを避けて通るのではなく、切り抜けて行かなくては、完璧に到達することはできません。このような認識が皆さんの一部となり、この真理が身に沁みつくまで、毎日瞑想しなくてはなりません。

 更に、この道を歩んだからといって自己や人生の状況が絶え間なく順調に改善される訳ではないという覚悟をしてください。先程と同様、これも完全に非現実的です。道は長く、影響や試練の期間は、望んでいる程すぐには終わらないという事実に向き合わねばなりません。霊的な教えの規則に従えば、問題が完全になくなる、あるいは問題が暫くの間なくなったかに見えることを成功の印であると思い込んでいる場合、大きな弊害を生じるということを申し上げておきましょう。外的な問題が全くないように見える人も沢山います。そのような人は、きっとこの道を歩んでいないのでしょう。現世ではそれほど期待されておらず、楽な人生で何ができるのかを証明する機会を与えられた、成長の低い存在なのかもしれません。今最善を尽くさなければ、来世では自らを証明できるよう、より困難な時を過ごすことになります。浄化の道を歩めば、困難や問題は直ちに軽減されると思い描くのはとても未熟で子供じみています。確かに、外的もしくは内的問題は軽減され最終的にはなくなるでしょう。しかし、長い時間が経過して初めて、まず内なる性質を完全に理解し、内なる流れを再整理した後にそうなります。このようにして、矛盾の直接的な原因である内なるイメージは取り除かれるでしょう。一度自分に打ち勝つと、この真理は完全に理解されます。しかし、それには長い時間と長年の努力が必要です。魂の中に調和が広がり、自らに責任を持ち、自己認識が深まるにつれて、試練の影響力と頻度は非常にゆっくりと減っていくでしょう。「自己を認識する」というのは、ローアセルフを完全かつ十分に知るという意味であり、ローアセルフを完全に克服したことを意味する必要はありません。

 

 この道を始めたら、更に又何かをするよりは、むしろ毎日瞑想しなさい。ショックを受けるかもしれない自分の姿を知ることができるよう瞑想しなさい。自分の姿を求めて、隠れたり逃げたりせずに歩み寄りなさい。この真っ直ぐな道を始める前に受けたのと全く同じような試練が、まだかなりの間、身に降りかかってくると思いなさい。唯一異なる点は、ワークが成功した後、道を歩む人は、ひとつひとつの試練と苦悩の期間には特別な意味があるということを理解することです。自らについて学ぶことが非常に大切であるというメッセージはそれぞれの困難な時期、そしてあらゆる苦難を通して伝えられます。かなりの時間を経て初めて、皆さんの心はこの方向へ導かれ、それによって教訓が何であるか益々早く見つけるようになるでしょう。そして、この期間の重要性を理解すると特定の試練はなくなるでしょう。その重要性を理解しない限り、試練はあります。暫くすると後退していくかもしれませんが、教訓を学ぶまでは、同じあるいは似たような形で戻って来ます。特定の苦難のメッセージを理解すること、その核心部まで本当に理解することが何を意味しているのかを経験した人は、祝福とは何と素晴らしいのだろう!ということを理解します。その結果、ここで述べられていることが単なる言葉ではなく深い経験となるでしょう。

その一方で、この道にいない人や、道までの方向を完全に見つけていない人、まだ初期段階にいる人は、途方に暮れるでしょう。このプロセスを体験すべき理由を知らないと、苦難に耐えることは比べものにならないほど難しいものになります。試練の期間や困難の時が終わる段階に達する前に、まずこの困難の時期を完全に理解する局面を通過し、勇気と叡智の精神で対処する必要があります。これら全てが実行されると、移行期間が始まり、外部の衝突や問題が痛みを感じる部分へ影響を与えることは最早ありません。外側に苦難がある時でも、内側はとても静かで穏やかに保たれます。この条件が達成されて初めて、困難は完全に去り始めます。皆さんはそのタイミングと段階について明確に知っている筈です。だから試練は終わらないという覚悟をしておきなさい。何を知ることが重要なのか学ぶまで、表面上は暫くの間、以前のような人生が続くでしょう。こうなることを期待し、このような心構えで道を進み続けるなら、失望させられることはありません。

 希望的思考のみで、目隠しされた子供のように道を続けると、がっかりすることになります。神や、この道を選択した時に、何らかの形で無意識の内に神に期待にしたものに失望するだけではなく、自己そして自己の努力に対しても失望します。この道はお伽噺ではありません。これは非常に愚鈍な種類の現実なのです。断固とした現実なのです。現実は険しく、辛く、悲観的なだけではなく、他の何より美しいものでもあるのです。現実の美しさは、不快な現実から逃れる為、現実逃避の空想がでっち上げあげたつまらない美とは全く比べものにならないほど勝っています。このことを覚えておいてください!

 瞑想について別の考えがあります。この道を進み続ける時、あらゆるものには支払われるべき対価があるという霊的法則に従う覚悟もまた必要になります。これを避けようとするものは誰でも最終的には、遥かに高い対価を支払うことになるでしょう。誰でも絶えず何らかの形で対価を払っています。ある者はより分かりやすく、他の者はよりさりげなく隠れて行ないます。特に中途半端な状況で道に取り込んでいる場合、表面上は対価を払っているようには見えませんが、心理的にみると誰もが支払っているのです。対価があることを認識しなさい。ただし、それには十分な価値があります。家を買い、素敵な邸宅を望む時、妥当な価格を払うように調整します。邸宅や宮殿に掘建て小屋の価格を見込んだりしないでしょう。皆さんは物質レベルではこの真理に納得しています。しかし、感情的、心理的、霊的レベルになると掘建て小屋の価格で宮殿を手に入れようとします。そして、時々どんな対価も全く払おうとしないのです。

これは病んだ魂の一部です。啓発の道を続けると、確かに高い対価を払います。けれども、調和、愛、幸福、そして如何なる悪によっても決して影響を受けず動揺することのない完全なる内面の安心を得られる手段は、地上にも天国にも他には決してありません。その対価とは、自己憐憫もなく、自己欺瞞もなく、小さなエゴとの完全な決別すること、時間、努力、忍耐、忍耐強さ、そして勇気です。この対価の代わりに受け取るものは、実際に百倍もの価値があります。しかし、開始した直後に報酬を当てにしないでください。開始というのは、誠意を込めて努力するという条件の下、少なくとも2年間取り組むことを意味します。つまり象徴的に言うならば、対価は最初に全額支払う必要があるということです。

 私の言葉は身勝手な人が聞きたがるものではないと分かっています。皆さんが望む幸福を実現する簡単な方法や魔法の呪文はありません。単にある種の祈祷の儀式を行うだけなら、地上の楽園や霊界から貴重な贈り物を受け取れるとはお約束できません。そのようなことを言っても、例え、それを聞きたいと思っていたとしても、疑念を抱き信頼できなくなるのも当然でしょう。私が示しているのは現実であり真実なのです。私のアドバイスに従って試してみれば、誰もが自らの為に真実を見出す機会を持っています。

第一のアドバイスです。ここで受け取った言葉を瞑想してください。対価はどうあるべきか、何を期待すべきかを考えてください。そして判断します。自ら進んで、この道を歩みますか?皆さんはこう言うかもしれません。「更にいくつもの人生が必要かもしれない。私はとても疲れた。」これも又、短絡的であると言うしかありません。もし疲れて弱っているのなら、それは内なる力が不適切な流れの中で疲れ果てているからです。その為、正常に機能している魂のように、根本的に元気を取り戻すことができないでいるのです。最初の苦闘に挫けることなくスタートさえすれば、最終的に内なる流れを正すことに成功するでしょう。そうすれば、自分の中に素晴らしい生命力と、人生を完全に変える火花を放つことができます。

皆さんが抱える問題は、まず道に必要な部分であり、分別を持って対処するなら学べる挑戦なので、問題が全てなくなることはお約束できません。しかし、特定の基本条件を満たした後には、もはや自らの人生や困難のために落ち込むことはないとお約束できます。疲労感はなくなり、全ての原因と本質を知ることで困難を切り抜け、正しい方法で苦難に耐える強さを持てるとお約束します。

 人生の最も難しく最も弱い側面は、起こったことの理由を理解できないことです。自己の内面へと向かう道だけが、その理由を見つけ出し、必要な力を与えてくれるでしょう。例え、実際に困難が無くなり始める前であっても、道をある一定期間進むと、その困難にも関わらず人生を楽しめるとお約束します。以前は決してできなかった方法で人生を享受するようになります。始めは一定の間隔で、そしてより日常的に、活気に満ちて生き生きしてくるであろうとお約束します。自己を理解し魂に秩序をもたらすようになる程度まで、この活気のある生命力で満たされるでしょう。あらゆる現実において人生は美しいものとなります。ですから、心から言います。このワークを来世に先送りにしないでください。先送りしても、少しも容易にはなりません。又このワークをせずに逃げ切ることも絶対にできません。何故なら、行われるべきものだからです。どんなに遅いと思っても、遅過ぎることはありません。この世で達成したものは、どんなものでも永遠に価値あるものとなります。達成と言う時、それはローアセルフに打ち勝つことを意味しています。

 状況をよく判断して取り組むべき最初の決断について、もう一度考えてみます。この道で自浄作用に関わる三つの必要なワークの種類を区別することです。ひとつは外見上の行動、表面上の全ての出来事と同様に、明らかな欠点や本質を認識することです。次の段階は、潜在意識に直接属さない層に取り組みます。このふたつの段階は、大抵重なり合っています。しかし意図的に避けている為、皆さんはそのことに気づいていません。この層は私が説明する別の方法で取り扱う必要があります。三つ目であり同様に重要な層は潜在意識です。潜在意識にあるものは非常に遠く離れているので、何の影響力もない等と信じてはいけません。知らない内に、絶えず潜在意識によって支配されているのです。自分の潜在意識にあるものをゆっくりと、しかし確実に、少なくともある程度は見つけ出していくことは十分に可能です。

意識的意志と直接関係し、意志の行為によって直接コントロールされている、あなたの中の傾向を区別しなさい。感情と結びつき、皆さんの願望に応えることを直接的に強要されることのない内なる傾向もまた発見するでしょう。感情の世界では、間接的な方法を除いては、圧力や自発行為ではなく本質的な成長でしか変わることができません。皆さんが心の底で信念や愛が欠けていることに気づくとしましょう。どんなに一生懸命直接的に努力しても信念や愛を持つことを自分に強要することはできません。皆さん自身ができることは、この道を歩むこと、この道に従うこと、この道にまじめに取り組むことを困難にする自己規律の欠如を乗り越えること、あるいは行く手を防ぐ他のどんなものにも直接向き合うこと、例えば、客観的な方法で自己観察や瞑想の課題に毎日取り組むことです。そうすることで、例えば、愛や信念の欠如に直接的には取り組まなくても、とにかく自分を知り、この特質が不足している理由を見つけ出すでしょう。愛や信念を持つことを自分に強要することなくその理由を徐々に理解していくと、最終的には生命力に満ち溢れ、直接的な努力をしなくても、自動的にこのような感情が生まれてきます。数年後、感情に変化が起こり始めるなら、素晴らしい成功だと言えるでしょう。変化はとても自然に起こるので、皆さんは最初完全には気付かないかもしれません。

 直ちにこれらの言葉を詳しく調べなさい。そして深く考えなさい。不安があれば、神の下へそれを持って行き尋ねなさい。本当に心を開いていれば神は答えてくださります。皆さん、私を信じてください。これらは全部、いま皆さんが思っているほど難しいことではありません。道は、皆さんが求めもしないのに幸福をもたらすような奇跡ではありません。全ては皆さんの誠実さ、意志の力、努力の中にあるのです。

覚悟と決断のこの段階についてまた別のことを話したいと思います。自己との戦いを想定しなさい。自己との戦いとは、ローアセルフとハイヤーセルフの戦いであり、皆さんの意識的な自己が勝者を決めます。このような戦いなしに勝つことはありません。最初この長い戦いは、道を歩むことを徹底的に妨げる形で現れてくるでしょう。ローアセルフはおそらく次のようなメッセージを送って来るでしょう。「私は信じない」あるいは「結局必要ないかもしれない」「すごく疲れた」「時間がない」と。これらのメッセージの真意を見極め、どこに根源があるのかを理解しなくてはなりません。魂をより深く掘り下げて調べる起点として、これらを使いなさい。このような隠れた言い訳や口実を受取る時、内なる自己が本当に訴えていることを明確に理解しようとしなさい。この戦いをあらかじめ想定していれば、目をこらし、耳を傾け、最初の勝利を得られます。同様に、マスクや誤った動機を明らかにするプロセスをある程度学べることでしょう。そのことは、後になってローアセルフが他の手段を使って道を邪魔しようとする時、大いに皆さんの役に立ちます。それは、個別的魂の流れにしがみつこうとするのです。その時には、皆さんは少し上手な対処法を既に知っているでしょう。表面的な言い訳を無視しないでください。よく調べ、取り組み、分析してください。

 自覚はないかもしれませんが、皆さんの多くはローアセルフに由来するものに怯えています。そのような曖昧な感情を簡潔な思考に翻訳変換することを学ぶことは重要です。この恐れが自分自身と向き合うことを避けようとする重要な原因なのです。

 向き合うことを避ける為、内側で大切にしていないものは何も存在しないと仮定するのは子供じみています。ローアセルフは未熟で無知です。――まさにその本質は欠点であり歪みです。ですから皆さんに言いましょう。自己の内に存在するものを避けないでください!多くの人が精神科医を訪れその治療の過程で自らのローアセルフときちんと向き合うと、精神衰弱に陥ることがあります。ローアセルフは究極の存在ではないと知っている皆さんには、このようなことは起こり得ません。しかし、精神分析において自分がローアセルフそのものであるという間違った考え方が、人々をノイローゼーに陥れる自己否定や自己嫌悪に導くのかもしれません。ローアセルフは単なる一時的な層であり、全人格を構成しているものでないことをここにおられる皆さん全員知っています。ローアセルフは、「今ここで」取り組むべきものですが、それは真の皆さんの姿ではありません。――少なくも皆さんの全体像ではありません。

 部分的に解放されたハイヤーセルフは、皆さんの良き本質、寛大さ、優しさ、その他ハイヤーセルフに属するあらゆる自己の内側にあるものを通してすでに現れています。ローアセルフの後ろに深く隠され顕在化できない場合でも、それでもハイヤーセルフは輝く完璧の中に存在しています。ローアセルフを克服しなければ、どうやって達成することができるでしょうか?ですから恐れないでください。これまでその存在について全く知らない場合、ローアセルフに初めて遭遇した時にショックを受けないでください。ローアセルフは一時的に必要な層ですが、断じて、決して皆さんの究極の姿を現すものではありません。実際のところ、疑いもしなかった相にショックを受ける段階に達するのは成長の兆です。順調に進んでいることをはっきりと示しています。何故なら、暫くは苦痛かもしれませんがこの段階を乗り越えなければ、更なる勝利や成功を得られないからです。皆さん、これは道の一部なのです。これらの言葉を瞑想し同時にローアセルフの恐れと恥を意識しようとするなら、そしてこの真理と認識をもって生きることを学ぶなら、皆さんは勝利を手に入れるでしょう。恐れに現実的に向き合い、他の内なる存在を避けるように恐れから目を背けることはありません。これが今夜、皆さんにお話ししなければならないことです。

それでは親愛なる皆さん、質問をお受けします。

 質問:スピリットは、娯楽として何をするのか教えて頂けますか?

 回答:そうですね、皆さん、スピリットが生活し、笑い、楽しむ――そして働く――ということは人間にとっては非常に想像し難いことです。もちろん、高次の領域にいるスピリットは完全にバランスを取りながらこれら全てを行います。何が娯楽であるのかは、完全にそのスピリットの個性、個人的な嗜好、才能、意思によります。音楽に強い興味を持っているスピリットがいるかもしれません。おそらく、このスピリットは少なくとも折に触れて音楽の楽しみを享受できる領域で生きるでしょう。あるものは芸術に、あるものは科学に惹きつけられるでしょう。また他のものはまさに創造の美を楽しみ、更にダンスあるいは特定の分野、領域、特定の形の一部分を独自の個性に合わせて創り出すことで自己表現するものもいるでしょう。このようにスピリットの世界には、あらゆる形の娯楽が存在します。対話や演劇を通して交流する芸術もあります。この世界に存在する全ては、スピリット界に存在しているものを非常に大雑把にコピーしたものにすぎません。

 このことについては、あまり多くのことをお話ししたくはありません。というのは、とりわけ理性的な人はスピリット界に関することを容易に受け入れようとしないからです。理性的な人は「あぁ子供じみて原始的だ」と言うでしょう。一部の人の持つ子供じみた考えは確かに間違っているかもしれません。何故なら、人間的過ぎる、あるいは非現実的過ぎる状態で、スピリットの世界を見たり想像したりするからです。迷信に向かいがちな原始的思考を持つ人は正しくありません。また、理性的な人がスピリット界に属するものは抽象的なものだけと考え、具体的だと考えるものがスピリット界には存在しないと否定するのも正しくありません。最高次の領域では、あらゆるものがスピリットにおいて一体なので、具体的なものと抽象的なものもスピリットにおいては一体であることを彼らは忘れています。従って、現実に微妙なニュアンスでスピリットの世界を説明する適切な言葉は存在せず、危険な誤解を招きかねないので、この話題については議論したくありません。私の説明が適切なイメージを皆さんに実際に与えることはないと分かっています。

 質問:キリストのスピリットは神のような普遍的なスピリットなのか、あるいは個別的なスピリットなのかをお聞きしたいのですが。

 回答:神のスピリットと全く同じです。キリストの本質は神の本質と同じです。全て聖なる本質です。皆さんに内在する本質と同じです。聖なる本質、神の本質、キリストの本質、いずれで呼ぼうとも違いはありません。神は、第一の創造物であるイエス・キリストのスピリットにこの本質の大部分を与えました。他の全ての人間はこの本質の一部を受取り、与えられたパワーを使ってその本質を向上、成長させることがその手に委ねられています。分かりますか?自らを成長させると、ローアセルフの影や層からハイヤーセルフを解放することができます。皆さんがこの本質を発達させることができるなら、それが常に皆さんの内にある存在となります。この神聖なる輝き、あるいはハイヤーセルフがここで述べている本質です。神の存在、あるいは人としてのイエス・キリストの存在は別のものです。キリストはその化身の中で直に存在として感じられるかもしれません。しかし、それは皆さんの内部の聖なる本質とはまるで異なるものです。皆さん自身の内部の聖なる本質の存在は、私がいま導いているこの道を歩むことでしか向上することができません。化身の中に神の存在を感じること――人間に当てはまることはほとんどありませんが、スピリットにとってはあり得ます――あるいは人としてのイエス・キリストの存在を感じることは、理由もわからず不意に訪れる、ごく稀な神の恩寵です。これらは全く異なるふたつのことです。これで明確になったでしょうか?

 質問者:はい。

 質問:天使の堕落についてお聞きします。イザヤ書に、神は善と悪を創造したと書かれています。神は邪悪な力、ルシファーのパワーも作ったのですか?

 回答:それは大きな間違いです。以前のレクチャー、どのようにしてこの間違いが起こり得たかを説明している「天使の堕落」のレクチャーを思い出してください。そうすれば、容易に納得できるでしょう。神はパワーを作り出し、神自身が創造したそれぞれのスピリットにそのパワーを授けたという説明を覚えていますか。このパワーは個々のスピリットの自由意志によって、いかなる方法でも使用できます。ここで、この誤りが何故、どのように起こり得たかを説明します。厳密に言えば、神が悪を創造したというのは間違いではありません。しかし、人間の自由意志――スピリットの自由意志――によって、神聖なる法則に背いてパワーが行使されるのならば、神は悪を創り出す可能性を創造したというのがより正確でしょう。お分かりですか?

 質問:はい。しかし、常に極には相反する極が存在します。

 回答: 確かに、神の法則に相反するものは存在します。しかし、それは神が悪を創造したということではありません。悪を創ることと、神の法則に従っても従わなくてもパワーを行使できる創造物に自由意志とパワーを授けることには大きな違いがあります。神が万物に自由選択の可能性を与えた理由をかなりじっくりと説明してきました。論理的に言うと、自由意志には誤用の可能性があります。この可能性が存在しなければ、自由も存在しません。神の創造物が神のようになるのであれならば、自由でなくてはなりません。というのは、自由は聖なる状態のひとつだからです。パワーの誤用は、例え最初の過ちで悪にならなかったとしても、ゆっくりとしたプロセスを通し最終的には悪へと導かれます。これに関しては全て十分に説明してきました。関係するレクチャーを読めば分かるでしょう。ここにいらっしゃる皆さんの多くはしっかりと理解されていると思いますので、ここでこれ以上詳しく述べる必要はないと思います。不明瞭な方はいらっしゃいますか?

 質問:分かりました。イザヤ書の主は悪を創造したという一節は、おそらく間違った翻訳なのでしょう。つまり、主は悪を創造する可能性を与えても、悪を創造することはないということですね。

 回答:そのとおりです。いいですか、ひとつの単語が省略されることで文章の意味が大きく変わってしまうことは良くあることです。もし「神は悪を創造した」という代わりに、「神は悪の可能性を創造した」と言っていたなら、その意味は的確だったでしょう。

 質問:この道にいる人が環境によって非常に強く影響を受ける可能性はどの程度ですか?この点に関して助言を頂けませんか?

 回答:そうですね。私がやっているように正しい道の歩き方を示すことでしか力になることはできません。人それぞれに原因が異なるので、環境の影響が強い原因は多岐にわたります。主として心理的なものです。あらゆる種類の外的事象により魂が強い影響を受けるのは、魂のもつれからまだ解放されていない印です。内なる力が神の法則に従って使われていないと、魂は解放されません。これはある人には環境に作用される形で、他の人には異なる形で現れるでしょう。魂が不健全で未熟な時は常に、特定の状況でこれが引き起こされ魂ははっきりとわかる症状を生み出します。

 質問:私の場合のように、空気中の湿度が高い時に症状が起こるのはどうしてですか?

 回答:これは誰もが持っているオドの力のため起こります。オドの力はそれぞれに異なる構成をしており、それゆえ異なる外的な問題に反応します。ある人には、宇宙の影響が魂により強く作用します。また別の人には、人間の影響がより強い効果を与えます、というように。皆さんがこの特有の感受性を持っているなら、それは独自のやり方の中に魂の歪みがあるからです。その歪みは、おそらく怠惰を引き起こす傾向があり、このような方法で魂が反応する最初の機会を利用します。魂は非常に複雑な構造をしているので、ふたつとして同じものはありません。いくつかの基本的な問題は似ていますが、様々な傾向と流れ全てがどのように機能するのか、何がローアセルフに関わってくるのか、ローアセルフは怠惰のようなネガティブな特質を強めるための言い訳として何を使うつもりなのか、ローアセルフがマスクあるいは言い逃れをつくる為の流れによって、ハイヤーセルフがどのように弱められるのかは、それぞれの人によって異なります。誰一人として同じ反応をする人はいないので、起こり得ることは無限です。しかし、これが魂の内部の動揺の印であるという事実に変わりはありません。唯一の改善策は、ここで概説したこのコースに沿ってこの道を最後の最後まで歩み続けることです。もし皆さんが完全に浄化され健全であったとしたら、天候あるいは外部から降りかかってくるかもしれないどんなものからも影響を受けることはないでしょう。

 質問:そうしたら多分、私はここにいないでしょう。

 回答:その通りです。

 

 質問:人種には霊的意義や原因があるのか教えて頂けますか?

 回答:ええ、勿論あります。偶然のようなものは存在しません。人間はカルマを乗り越える必要があるということを手短に述べたいと思います。例えば、ある人が集団として多くの苦しみを持つ特定の人種に生まれるとしたら、それは勿論この特別な魂のカルマに起因します。霊的に成長することで人類がより一体化されれば、様々な異人種は更に存在しなくなるでしょう。現時点でも、人種差異を取り除く方向にゆっくりですが確実に進展しているのが確認され始めています。今から数千年後、おそらく約1500年後には、この進展の結果は顕著なものとなるでしょう。民族、宗教、人種にはほとんど差異が見られなくなるでしょう。これが一体化と霊的向上の印なのです。しかしながら、そのような時が来るまで、違いは存在し、そして存在せねばなりません。というのは、皆さんは困難に直面しなければ成長できないからです。これは個人の人生に当てはまり、同様に集団の発展にも必ず当てはまります。

特定の人種は、他の人種と異なることで苦しまないのは何故かと皆さんは疑問に思うかもしれません。そして尋ねるでしょう。「彼らは何を学ぶことができるのか?」と。実際、彼らもまた学ぶべきことがあります。おそらく、他者が経験するかもしれない苦しみから逃れることで生じる責任を学ぶ必要があるでしょう。更に、この点以外にも考慮すべき点があります。霊的、感情的、気質的、心理学的にスピリットは特定の集団に属しており、それ故、その集団で成長することが絶好の機会となります。スピリットは、ある特有の人種あるいはある特有の民族に生まれてくるかもしれません。地球上に不和が存在し人間がそれを克服することを学ばない限り差異は存在するでしょう。いかなる困難、あるいは明らかな不利益であっても解決策になり得るので、もし正しい道にいるなら間違いなく、同様に利点も解決策になり得ます。衝突が存在するからこそ、人種、宗教、国籍、あるいはその他さまざまな分類上の区分の違いによって人間はより強くなり、霊的成長をより早く進展させるのかもしれません。衝突がなければ、成長は決して進みません。困難への対処の仕方が常に唯一の問題なのです。つまり個別にそして集団的にどう対処するかということです。分かりましたか?

 質問者:はい。ありがとうございます。

 質問:しかし、様々な人種とその傾向の多様性は、人類の美の一部ではありませんか?

 回答:その通りです。多様性は構いません。しかし、地球上では多様性は衝突と敵意を意味します。スピリットにおいては、あらゆるものに無限の多様性が存在します。しかし、それは「優れた人種」や「劣った人種」と呼ばれるものが存在する地球上の多様性とは異なります。それは時として迫害を受ける集団だけではなく、もちろん両集団にとってのカルマなのです。同様に皆さんが今瞑想することができる思考なのです。

 質問:成長の道に取り組み、ある特定の欠点に気付いたので瞑想と祈りを通して克服しようとしています。しかし、これ以上うまくいくように思えません。このような場合、何が間違っているのでしょうか?

 回答:何かが間違っているとは言いませんが、必要とする解決の手がかりに何らかの方法が欠けているのかもしれません。ある特定の方向へ何度も繰り返して一生懸命に努力していますが、あまりにも強引すぎるのかもしれません。ローアセルフはそれに抵抗します。多分、次のようなアドバイスができるでしょう。親愛なる皆さん、あることを理解することが必要です。私が戦いについて話し、戦えと言った時、それはまさに言葉通りのことを意味しています。ローアセルフが欠点、恨み、怠惰な考え方を諦める準備ができるにはとても長い時間かかります。意識的に気付いておらず、その意味がわからなくても、ローアセルフは皆さんの内部に断固として生きているのだと理解しなくてはなりません。何故なら皆さんは、意識的に正しい方向へ努力する善意について知っているだけだからです。この認識は最初の最も重要な段階です。意識的な存在の意志の働きがどんなに良いものであっても、この認識がなければ皆さんは何処へも行けません。少なくともこの道のかなり先に到達するまで多くの人たちが受け入れないのは、自らの内にある矛盾です。ある部分がひとつのことを望んでいるのに、どうしてもう片方がそれに相反するものを望むことができるのでしょう。初めは常に無意識である矛盾する願望の葛藤は、取り除かれ、意識の光の中に持ち込まれなくてはなりません。この最も重要な段階を踏まずに更なる成功はあり得ません。

 従って、当分の間、これまで感じられなかったものを無理に感じようとしないようにと助言します。その代わりに、これまでの失敗の原因である本質の部分を意識的にする方向へと努力してください。肉体的のみならず精神的にも十分にリラックスしてください。実際にその存在に気づけるようローアセルフを顕在化させることを試みてください。敵が目に見えれば、うまく戦うことができます。敵が目に見えなければ、勝利は得られません。ですから、皆さんの内に存在するものを外に出すことを恐れないでください。瞑想をしながら、とても静かに自分そして神に向かって言ってください。「これが私の現状です。少なくとも私の一部はこのような状態です。私自身が好きでもないし大事にもしていない部分です。自ら進んでしようとしないと限り何も変えることができないことは分かっているので、この側面を自分の一部として受入れたいと思っています。明らかになるものは、私の全本質ではないことを認識しています。私の中には相反するふたつの力があり、今まで無視してきたものを含む両者に気付く必要があります。望んでいる姿になる為に、まず恐れ又は恥や虚栄心を持つことなく内なるものに向き合わなくてはなりません。」

 目的を達成し、ローアセルフを表面化させる為に力を貸してもらえるよう神に願いなさい。いつも皆さんにこの傾向をもたらした出来事に関係する感情に耳を傾けなさい。この感情を簡潔な考えや言葉に置き換えることを試みなさい。絶えずこれを行いなさい。そうすればこの点において皆さんは成功するでしょう。その後、自分の中のふたつの矛盾する流れを静かに認識できる段階に達します。それは、自らの不完全さが見える流れ、そしてそれに反する流れです。反する流れとは、今はまだそのように出来なくても、どのように感じ反応したいかを理論的に知っている流れです。まずは、自分が正しいと知っている完璧さと比較して、現在の自分の不完全さを受け入れることを学びましょう。謙虚にこの不完全さを受入れましょう。これを絶えず続けていると、皆さんの感情は変わります。

 自己観察と自己への誠実さを続けていれば、驚くべき影響を受けるでしょう。この方法に従えば、ありのままの自己を受入れ、その結果、真の謙虚さを身に付け、真実の法則に従うことを学びます。この点で、まだ完璧に達していなくても、この認識は皆さんの中に新しい強さを生み出すでしょう。このような実践をした後、非常にゆっくりと皆さんの感情は変わり始めます。皆さん、これが唯一の方法なのです。

この話題については次回のレクチャーでお話しするつもりでしたが、皆さんから質問が出たので、ここでお答えしました。この話題は再度取り上げるつもりです。何故なら、これは直接的な意志の行為の影響を受けない感情の浄化方法の一部だからです。このことに関してはいくら強調しても十分ではありません。この方法を鮮明に理解するには時間がかかりますが、いったん理解すれば間違いなく成果を得ることができます。皆さんの内何人かは、特に個人セッションを受けたことのある皆さんは、何度も繰り返し聞かされてうんざりするかもしれません。しかし、これに関してはどれだけ言っても言い過ぎということはありません。皆さんの多くは、このプロセスを頭の中でしか理解しておらず、内なる自己はまだ完全に認識、あるいは理解していないのです。お分かりいただけますか?

 質問:はい。どのようにして内なる自己に感情的な自己を理解させるのでしょうか?

 回答:最初から理解させようとしないでください。まずは解放してあげることです。それがプロセスの前半部分です。完全に表面化される前に、感情的な自己を教育、あるいは再教育することは不可能です。この感情を変えようと急ぐことは不可能な目標であるだけではなく、無駄で非現実な結果となります。長い間正しいと認識していた感情と矛盾する感情と向き合う場合、自己認識を常に行うこの期間は皆さんに謙虚さを教えてくれます。不完全な存在として自己を受入れることは、罪悪感や自己非難のない正しい自己受容の方法です。罪悪感や自己非難を伴う場合は、不健全で非生産的です。皆さんは自己を現実的に受け止めることを学ぶ必要があります。「かなり多くの点で私は未だ不完全だ。別の多くの点では完全さに達している。もし、この道のワークをしながら自分が思う程に完璧ではないと分かった場合でも、その事実を変えていけるよう、その事実を更に受け入れていこう。」と言ってください。自らの不完全さを変える前に、まさにその不完全さから学ぶべきことが他にもかなりたくさんあるということを理解してください。

 ローアセルフに対処する為にふさわしい考え方を学びなさい。単なる意志の努力だけで何かを変えることは不可能であるということを受入れましょう。これらは全て皆さんの道に必要なものであり、それ故、まだ存在している不完全さは明確な目的を果たします。不完全さを大事に育て、その存在を正当化すべきだと言っている訳ではありません。更に、怠惰になりその不完全さについて何の対処もすべきではないという意味でもありません。これは間違った極端な考え方です。あらゆるものに程よい中庸の道を見つけることは、この道の一部です。恐れることなく、恥じることなく、プライドを持つことなく、自らを受入れることを学びなさい。このような傾向がまだ見られる場合には、その背後にあるものを調べ、自分自身について更に理解を深めなさい。この方法に暫くの間従って、同時に救済のため神の恩恵を求めるなら、流れが直ちに変わることはないでしょうが、益々多くのものを手に入れることでしょう。また一方で、自己認識と自己理解において成長するでしょう。これは基本的なことです。必要な謙虚さをもってローアセルフを受入れる適切な精神は、皆さんの誰もが今のところ認識しているものより遥かに重要です。皆さんがこの段階を完全に飛ばしたいと思うのは誤りです。そうすると、皆さんの努力はいつも袋小路に迷い込み、最終的には否応なく落胆することになるでしょう。

 さて、親愛なる皆さん、これで終わりにします。遠くにいる大事な友人の皆さん、そしてこの部屋にいる親愛なる皆さん、同様に、今夜初めて私たちの元への道を見つけた方々に神の祝福を贈ります。これが、皆さんの人生のターニングポイントになりますように。平和が皆さんと共にありますように。神の中にいてください!

  

 

 

​​###

 

 

以下の注記は、Pathwork®の名称およびこのレクチャー資料の使用法を示したものです。Pathwork®の商標/サービスマークは、The Pathwork Foundation(パスワーク・ファウンデーション)によって所有され登録されており、The Pathwork Foundationの書面による許諾なく使用することはできません。The Pathwork Foundationは、その単独裁量権において、Pathwork®の商標を、協力団体やその支部のような他の組織および個人による使用を許可します。 

 

著作権にかかる規定 

Pathworkのガイドの著作物は、The Pathwork Foundationの所有資産です。このレクチャーは、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーに準拠して複製され、いかなる方法においても変更または省略することはできません。また、著作権、商標、サービスマークおよびその他あらゆる公示の削除は許可されません。 

レクチャーを提供される側は、複製と配布のための費用のみを支払うこととします。The Pathwork Foundationのサービスマークまたは著作権で保護された資料を使用する任意の個人や組織は、The Pathwork Foundationの商標、サービスマークおよび著作権ポリシーを遵守することに同意したものとみなされます。これに関する情報またはこのポリシーを入手するには、The Pathwork Foundationにご連絡ください。Pathworkという名称の使用は、The Pathwork Foundationによって承認される変容のプログラムを修了したファシリテーターとヘルパーにのみ許可されています。 

 

日本語版の取り扱いについて 

Pathwork in Japan (パスワーク・イン・ジャパン) の許可なしに、無断でコピー(複製)、貸与、頒布、販売することを固く禁じます。また、文書およびインターネット上(ウェブ、メール)での引用・転載を含む公開も禁止します。 

 

また、本レクチャーの受領者は、英語版から日本語版を作成する際に発生する複製・配布・翻訳などにかかる費用をご負担いただきます。 

 

さらなる情報やPathworkへの参加については、Pathwork in Japanにお問合せください。 

ウェブサイト:www.pathworkinjapan.com 

お問合せ先 :pathworkinjapan@gmail.com 

 

※ガイドレクチャーに関するお問合せはメールで承っております。下記メールアドレスまでお願いいたします。 

pathworkinjapan@gmail.com 

​​​​​

PGLNo25

© Pathwork in Japan All Rights Reserved.

bottom of page